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2016/02/02

「Over the Ocean」  建国記念日にさいして  企画上映会

「Over the Ocean」  
映像作家 田中良佑|Ryosuke Tanaka

長い映画ですのにご来場下さり、最後迄ご高覧下さって有り難う ございます。最終回 挨拶等考えていなかったのですが、皆さん席をお立ちにならないので、11日ちょうどこの日に、作家の田中さんが、交換留学でポーランドに行くのでご挨拶が出来ません、とだけお話しまして、拍手を頂きました。上映会で拍手を頂くなんて...嬉しいです。
半年程で戻られますので新作をお楽しみに。

沖縄の事と平行して、最初は、お前は正しく生きて来たのかと、糾弾されているようにも感じました、何度も見るうちそれしか出来なかった、精一杯やって来たって、そんな風に思えるようになりました.....。(個人的な思いです、ローカル日記だし)でも、沖縄の事、今考えなくてはなりません。私は憲法9条の改正に反対です。(今気がついたけど、改正って字も変じゃない?)基地もない方がいい。

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以下、田中さんがこの映画を制作された、経緯です。
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この映像作品は、私が2015年の 10 月から 11 月にかけて沖縄の「コザ」 という町に滞在しながら制 作したものです。 「コザ」は、「極東最大 の空軍基地」といわれる嘉手納空軍基地の目の前に広がっています。私 は、コザのメインストリートであり、嘉手納空軍基地第二ゲートに直結 している大通り「ゲート通り」に 49 年間店を構えているタコス屋「OCEAN」を訪れ、入り浸り、その店長 屋良 靖さんと、お店に訪れる 様々な立場のお客さんに話を聴く映像作品を制作しました。“コザ” その名前は一度聞いた時から、私の耳に強く遺り、離れませんで した。その不思議な響き は、今から 70 年前、1945 年にアメリカ軍が沖 縄本島に上陸した時から生まれたそうです。上陸したアメリカ軍は、本 来「越来村(ごえくそん)」という名だったその場所に、軍事施設や難民 収容 所を建 て、その一帯を「KOZA」と名付けました。その由来は、 隣接する「古謝(こじゃ)」「胡屋 (ごや)」という地域の名前が混ざった もの等と言われていますが、はっきりとはわかっていませ ん。 現在「コ ザ」は、1974 年に隣接する美里と合併し「沖縄市」となり、正式な地 名として存 在して いませんが、今でもその場所は、かつての米軍統治 時代の色を遺す混沌としたイメージと して、沖縄の多くの人に「コザ」 と呼ばれているようで、2015 年に何の知識も無く立ち寄った私もいとも 簡単にすぐここがコザであることをわかりました。

今年の 8 月、私は友人の映画撮影の手伝いに誘われ、高校 3 年生の修学 旅行ぶりに沖縄を訪れました。 高校 3 年生の時には見えなかったり感 じなかった想像を遥かに超えた沖縄の美しさと哀しみに激 しく混乱し、 言葉も出ず立ち尽くしました。その時に私は、もっとこの場所に長く滞 在して「沖 縄」のことを少しでも知りたい、なにかをわかりたい分かち 合いたいと強く思いました。

なかで も「コザ」に滞在したのは、その地域だけポッカリと虚空に浮 かんでいるような、捉えがたく頭 が全く追いつかない衝撃を、最も受 けた場所だからでした。その”わからない” 場所に住む事が、 僕にとっ て「沖縄」を少しでも知るきっかけになるかもしれないと信じ込み、 僕はその場所に滞 在することを決めました。


「OCEAN」。 初めてその水色の看板を見た時から、何故か無性に気に なって気になってしょ うがなかったお店。この滞在で、「OCEAN」の 人々に話を聴いた理由は、うまく言えない。嘉手 納空軍基地の目の前、 米軍統治時代からのお店という前に、私は「OCEAN」から滲み出る、 人を 突き放しながらも優しく受け入れるような空気のようなものを 感 じて、この場所の人 に話を聴きたい、と思いました。それは、環境の 違いから来る距離感と、身勝手な憧れと、わかちあえる部分が必ずある かもしれないという希望のような感情を同時に、「OCEAN」の佇まい に感じたからかもしれません。 その場所で私は、同じ時代を生きるも のとして、違う場所で生まれ育った者として、わかりあえないものとし
て、わかりあえるかもしれないものとして、とにかく、今まで聞いた事 のない話を、聴き続けました。


※この映像の中で話されている内容は全て一個人の話であり、総意や事 実というものでは決して ありません