関 直美 展 【 彫刻を生きる 】6/13ー6/18
関 直美 展 【 彫刻を生きる 】6/13ー6/18 12:00~19:00 最終日17:00
二つの展示を試みる。
【関直美 出版記念】トーク
vol.1「彫刻を生きる」 6月13日(火)18:00-18:50
【一つは彫刻を書物にした「彫刻を生きる」 A5版 論創社より6月に出版予定 作家 初めての著書 】
1970年代、圧倒的に絵画が多い美術の中で彫刻は少数であったが元気だった。
しかし次第に新たな表現方法が台頭し多様化する美術シーンの中で、彫刻はしだいに鳴りをひそめていく。そんな流れを私の彫刻の歩みとともに、彫刻の現在を確認するためにまとめてみた。


vol.2「階段のゆくえ」 6月17日(土)14:00-15:00
【もう一方は、コンポストエクササイズのシリーズである 】
今回はモデルのみにとどめるが、大きなギアを回すと便座のギアがまわり中の排泄物は木のチップや土と攪拌され、腐葉土になる仕組みを備えている。水洗は一瞬できれいになるが、何気ない日常の動作から改めて利便性を考えてみたい。そう、SDGSは面倒くさいことから始まる。



関直美(美術家、本書著者)
宮田徹也(日本近代美術思想研究、著書『芸術を愛し求める人々―芸術創造論』)
司 会:志賀信夫(本書編集者、舞踊・美術批評)
「 階段の行方 」の部分 H 264 cm
「エスキース / 階段のゆくえ」木他 / h28 x w28.5 x 8 cm / 2023年

2023/6/13 初日












畠山崇さんに「 彫刻を生きる」の書評を頂きました。
以下に、載せさせて頂きます。
畠山崇 2日
彫刻を生きる 関直美 論創社
2023年6月初版第一刷 単行本131頁(含む44頁図版)
頌
本文は87頁です。一気に読みました。
著者は半世紀の長きにわたり、彫刻を制作してきました。表題「彫刻を生きる」、著者は彫刻を生きてきたのです。
私は著者と半世紀近い交友があります。といって、著者をよく理解していると言っては僭越です。
私はこの本を客観して扱いたいと思います。主観的に扱いたい気持ちは重々ですが、私情は著者の「彫刻を生きる」という姿勢に失礼になると思います。
約半世紀前(1970年代)から、著者ほどの熱量を保ちつつ、制作に努めてきた女性彫刻家がこの国に何人ほどいたでしょうか。私は寡聞にして多くを知りません。著者は、この本を読めばわかりますが、手綱を緩めることなく彫刻してきた人です。
著者は、既成の外にいることを旨として、制作活動をしてきた人です。
この本に、団体展について、の一章が書かれています。私は知っています。団体展は内野です。仲間内です。もっと悪いことに、仲間内でヒエラルキーまで作ります。準会員・会員・名誉会員、エトセトラ。著者はそれを厳しく拒絶した人です。
著者は女性彫刻家です。50年、この国で、女性が芸術活動に途切れることなく従事してきた、それは険しすぎるほど険しい歩みであったはずです。21世紀の今日でさえ女性が社会活動するのは難儀の連続です。彼女はそれを半世紀継続してきたのです。
この本には詳しく書かれていませんが、著者は社会参加型の発表(ワークショップ)をいくつも企画立案実践しています。私が見聞したのは「川崎大師」でのワークショップです。芸術のための芸術、著者はその逆の活動をしてきました。著者は、女性彫刻家として直面する社会に対峙することで、多方面の活動を展開してきたのだと思います。
著者は領域を軽々と超えていく彫刻家です。20世紀の終わり頃、国際彫刻シンポジウムの招待で、アイルランドでの公開制作に参加しました。その後も何回かアイルランドを訪れ公開制作を行なっています。それらの作品が図版に掲載されています。
ダンスパフォーマンスとの協働表現にも深く関わっています。表現領域の垣根を軽々と越境して未知の世界を作り出す、その写真も画像に掲載されています。これらは本来ならその場を体験しその時間を共有してこそ、その表現意図が理解されるところであり、残念です。
著者の彫刻は緊張と均衡の表現です。大木を使用した作品は、自然の重力とそれに負けまいとする人間の知力が、危うい様相で表現されています。図版のいくつかの作品にそれを見ることができます。近年はそれにフェティシズムが加わっています。直近の着色された彫刻や人体の一部が表出された彫刻にそれが表現されています。
〈芸術とは孤独な人間の社会的な行為である。〉イエーツ
関直美はこれからも制作(produce)者であり続けるでしょう。主観として応援しています。
二つの展示を試みる。
【関直美 出版記念】トーク
vol.1「彫刻を生きる」 6月13日(火)18:00-18:50
【一つは彫刻を書物にした「彫刻を生きる」 A5版 論創社より6月に出版予定 作家 初めての著書 】
1970年代、圧倒的に絵画が多い美術の中で彫刻は少数であったが元気だった。
しかし次第に新たな表現方法が台頭し多様化する美術シーンの中で、彫刻はしだいに鳴りをひそめていく。そんな流れを私の彫刻の歩みとともに、彫刻の現在を確認するためにまとめてみた。


vol.2「階段のゆくえ」 6月17日(土)14:00-15:00
【もう一方は、コンポストエクササイズのシリーズである 】
今回はモデルのみにとどめるが、大きなギアを回すと便座のギアがまわり中の排泄物は木のチップや土と攪拌され、腐葉土になる仕組みを備えている。水洗は一瞬できれいになるが、何気ない日常の動作から改めて利便性を考えてみたい。そう、SDGSは面倒くさいことから始まる。



関直美(美術家、本書著者)
宮田徹也(日本近代美術思想研究、著書『芸術を愛し求める人々―芸術創造論』)
司 会:志賀信夫(本書編集者、舞踊・美術批評)
「 階段の行方 」の部分 H 264 cm
「エスキース / 階段のゆくえ」木他 / h28 x w28.5 x 8 cm / 2023年

2023/6/13 初日












畠山崇さんに「 彫刻を生きる」の書評を頂きました。
以下に、載せさせて頂きます。
畠山崇 2日
彫刻を生きる 関直美 論創社
2023年6月初版第一刷 単行本131頁(含む44頁図版)
頌
本文は87頁です。一気に読みました。
著者は半世紀の長きにわたり、彫刻を制作してきました。表題「彫刻を生きる」、著者は彫刻を生きてきたのです。
私は著者と半世紀近い交友があります。といって、著者をよく理解していると言っては僭越です。
私はこの本を客観して扱いたいと思います。主観的に扱いたい気持ちは重々ですが、私情は著者の「彫刻を生きる」という姿勢に失礼になると思います。
約半世紀前(1970年代)から、著者ほどの熱量を保ちつつ、制作に努めてきた女性彫刻家がこの国に何人ほどいたでしょうか。私は寡聞にして多くを知りません。著者は、この本を読めばわかりますが、手綱を緩めることなく彫刻してきた人です。
著者は、既成の外にいることを旨として、制作活動をしてきた人です。
この本に、団体展について、の一章が書かれています。私は知っています。団体展は内野です。仲間内です。もっと悪いことに、仲間内でヒエラルキーまで作ります。準会員・会員・名誉会員、エトセトラ。著者はそれを厳しく拒絶した人です。
著者は女性彫刻家です。50年、この国で、女性が芸術活動に途切れることなく従事してきた、それは険しすぎるほど険しい歩みであったはずです。21世紀の今日でさえ女性が社会活動するのは難儀の連続です。彼女はそれを半世紀継続してきたのです。
この本には詳しく書かれていませんが、著者は社会参加型の発表(ワークショップ)をいくつも企画立案実践しています。私が見聞したのは「川崎大師」でのワークショップです。芸術のための芸術、著者はその逆の活動をしてきました。著者は、女性彫刻家として直面する社会に対峙することで、多方面の活動を展開してきたのだと思います。
著者は領域を軽々と超えていく彫刻家です。20世紀の終わり頃、国際彫刻シンポジウムの招待で、アイルランドでの公開制作に参加しました。その後も何回かアイルランドを訪れ公開制作を行なっています。それらの作品が図版に掲載されています。
ダンスパフォーマンスとの協働表現にも深く関わっています。表現領域の垣根を軽々と越境して未知の世界を作り出す、その写真も画像に掲載されています。これらは本来ならその場を体験しその時間を共有してこそ、その表現意図が理解されるところであり、残念です。
著者の彫刻は緊張と均衡の表現です。大木を使用した作品は、自然の重力とそれに負けまいとする人間の知力が、危うい様相で表現されています。図版のいくつかの作品にそれを見ることができます。近年はそれにフェティシズムが加わっています。直近の着色された彫刻や人体の一部が表出された彫刻にそれが表現されています。
〈芸術とは孤独な人間の社会的な行為である。〉イエーツ
関直美はこれからも制作(produce)者であり続けるでしょう。主観として応援しています。
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